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浦和地方裁判所 昭和56年(ワ)1345号 判決 1987年5月08日

原告

亡石井博幸訴訟承継人

石井ちよ子

原告(同)

石井佐代子

原告(同)

石井智子

原告(同)

石井教裕

右法定代理人親権者母

石井ちよ子

原告四名訴訟代理人弁護士

飯野仁

田村亘

被告

日栄交通株式会社

右代表者代表取締役

清水晴雄

被告

浦和自動車株式会社

右代表者代表取締役

石田文枝

被告両名訴訟代理人弁護士

江口保夫

草川健

鈴木諭

右訴訟復代理人弁護士

戸田信吾

主文

一  被告らは、各自、原告石井ちよ子に対し金一四四八万七七一七円、原告石井佐代子、同石井智子、同石井教裕に対しそれぞれ金五六六万二五七二円及び右各金員に対する昭和五四年一二月一四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告らの負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告石井ちよ子に対し金一四四八万七七一七円、原告石井佐代子、同石井智子、同石井教裕に対しそれぞれ金五六六万二五七二円及び右各金員に対する昭和五四年一二月一四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

被告日栄交通株式会社(以下「被告日栄交通」という。)の従業員である訴外相川茂(以下「訴外相川」という。)運転の普通乗用自動車は、昭和五四年一二月一四日午後一〇時三〇分頃、浦和市本太三丁目二三番四号の交差点(以下「本件交差点」という。)において、被告浦和自動車株式会社(以下被告「浦和自動車」という。)の従業員である訴外佐々木貞夫(以下「訴外佐々木」という。)運転の普通乗用自動車と衝突した。右事故(以下「本件事故」という。)により、訴外佐々木運転の普通乗用自動車の後部座席に乗車していた訴訟承継前原告亡石井博幸(以下「亡博幸」という。)は、頭蓋底骨折、右耳出血、右後頭部硬膜外血腫、右顔面神経麻痺の傷害を受けた。

そして、亡博幸は、昭和五八年二月七日浦和市大牧九一一番地八の自宅において自殺により死亡した。

2  被告らの責任

(一) 本件交差点は、幅員六メートルの道路と幅員八メートルの道路とが交差し、交通整理の行なわれていない交差点であるから、狭路進行車を運転する訴外相川は、徐行するなどして広路進行車の進行を妨げないように運転進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と右交差点に進入した過失があり、また、広路進行車を運転する訴外佐々木においても、進路前方の安全を確認して進行すべき注意義務があるのに、漫然と右交差点に進入した過失があり、本件は、右両者の注意義務懈怠の競合により発生したものである。

(二) 被告日栄交通は、タクシー業を営み、その従業員で業務に従事中であつた訴外相川の使用者であり、かつ、訴外相川運転の自動車の運行供用者である。

被告浦和自動車は、タクシー業を営み、その従業員で業務に従事中であつた訴外佐々木の使用者であり、かつ、訴外佐々木運転の自動車の運行供用者である。

(三) したがつて、被告らは、いずれも、本件事故により発生した後記損害のうち、人的損害については自賠法三条に基づく運行供用者として、物的損害については民法七一五条に基づく使用者として、共同不法行為責任を負うものである。

3  本件事故と亡博幸の死亡との因果関係

亡博幸は、本件事故による傷害の治療のため、浦和市内の秋葉病院において昭和五四年一二月一五日から治療を受け始め、同月一七日より同月二九日までの一三日間、同病院に入院し、退院後も昭和五五年四月五日まで一〇〇日間、通院した。また、この間亡博幸は、浦和市内の社会保険埼玉中央病院や川口市内の小野医院にも治療、検査のため通院した。さらに、亡博幸は、頭部外傷後遺症により、昭和五五年一月から同年一〇月頃まで東京都内の国立ガンセンターに通院し、その後も昭和五六年九月頃まで加療観察に付された。

このような長期間の治療を受けたにもかかわらず、亡博幸は、本訴提起時においても、未だ右耳難聴、頭部外傷後遺傷害(頭痛、右上肢倦怠感等)の後遺症が治癒せず、日夜苦悶を続けてきた。そのうえ、川口市役所の経済部労政課長の地位にあつた亡博幸は、一家の生計を支えるため、昭和五五年四月から職場に復帰したところ、本件事故による長期欠勤のため、定期昇給三カ月延伸の措置を受けたばかりでなく、難聴、頭痛のため執務も思うにまかせず、昇進の道も閉ざされ、昭和五七年四月から労政課長に比較すれば閑職ともいえる公害対策課長に異動となり、肉体的、精神的苦痛は日々募るばかりであつた。

一方、被告らとの示談交渉においても、被告らから誠意ある応対を受けられず、聴力検査等を繰り返し強いられることとなり、ますます窮地に陥つていつた。

その結果、ついに亡博幸は、精神に障害を来たし、昭和五七年夏ころから、不眠、食欲不振を訴え、またしばしば塞ぎこみ近親者との会話もしないなど、従前に見られなかつた挙動が顕著となつた。

亡博幸は、以上の経緯の中で、本件事故に起因する後遺障害、長期欠勤、それに伴う職業上の昇進停止、配置換え、誇りと自信の喪失の結果、精神障害を来たしてうつ病に罹患したものであり、仮にうつ病とは断定できなくとも、うつ病類似の症状を呈するか、あるいは神経症的症状を呈するに至つたものである。

ここにおいて、亡博幸は、昭和五八年一月二二日自殺未遂をおこし、ついに同年二月七日、右障害のため、思い余つて自らの命を断つに至つた。

従つて、亡博幸の死と本件事故との間には相当因果関係があり、被告らは、亡博幸の死亡による損害を賠償すべき責任がある。

4  亡博幸の被つた損害 合計金五二九五万〇八七一円

(一) 死亡に至るまでの傷害による損害

(1) 雑費 小計金二七万四八四〇円

(内訳)

入院雑費 金一万〇四〇〇円

眼鏡代 金五万三五〇〇円

背広代 金五万円

交通費 金一六万〇九四〇円

(2) 休業損害 金一七万五〇二〇円

亡博幸は、昭和五五年一月から同年六月までの間の本件事故による欠勤のため、勤務先であつた川口市役所から、右金額の給与を減額された。

(3) 昇給延伸による逸失利益 金九万七二〇〇円

亡博幸は、本件事故による欠勤により昭和五五年一〇月一日から昭和五六年一月一日まで三か月間昇給が延期されたため、右金額の支給を受けられなかつた。

(4) 傷害慰謝料 金三〇〇万円

亡博幸は、本件事故により、前記の如く、一三日間の入院、約二年間に亘る通院及び度重なる検査により、多大の精神的苦痛を受け、さらに、本件事故の後遺症である難聴、頭痛、右上肢倦怠感により職務の遂行等日常の生活に支障を被り、遂には精神障害を来たすに至つたので、その慰謝料として金三〇〇万円が相当である。

(二) 死亡による損害

(1) 逸失利益 金四四四〇万三八一一円

亡博幸は、死亡当時四八歳であつて、本件事故により死亡しなければ、少なくとも六七歳までの一九年間稼働可能であり、死亡前三か月の平均月額給与額金四七万一〇六三円を基礎として、生活費として三割五分を控除し、さらに、ライプニッツ式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除した逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、金四四四〇万三八一一円となる。

471.063円×12×12.085×0.65=44,403,811円

(2) 死亡慰謝料 金五〇〇万円

亡博幸の死亡に基づく慰謝料としては金五〇〇万円が相当である。

5  相続

原告石井ちよ子(以下「原告ちよ子」という。)は亡博幸の妻であり、その余の原告らはいずれも亡博幸の子であつて、亡博幸の死亡により同人の被つた前記損害賠償請求権を法定相続分に従い、原告ちよ子が二分の一、その余の原告らが各六分の一の割合で相続した。

6  原告ら固有の損害 各金二五〇万円宛

原告ちよ子は妻として、原告石井佐代子、同石井智子、同石井教裕はいずれも子として、最愛の夫あるいは父を亡くしたものであり、その精神的衝撃は大きく、慰謝料は、原告ら各自につきそれぞれ金二五〇万円宛が相当である。

7  よつて、原告らは被告らに対し、各自、自賠法三条及び民法七一五条に基づき、亡博幸の損害の相続分及び原告ら固有の損害の合計額、すなわち、原告ちよ子は金二八九七万五四三五円、その余の原告らは各金一一三二万五一四五円のうち、一部請求として請求の趣旨記載の各金員及び右各金員に対する不法行為の日である昭和五四年一二月一四日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)及び(二)の事実も認める。

3  同3の事実のうち、亡博幸が本件事故後の昭和五四年一二月一七日から同年一二月二九日までの一三日間、秋葉病院において入院加療を受け、その他に社会保険埼玉中央病院及び小野医院において治療検査を受けたこと、本件事故発生当時に亡博幸が川口市役所の経済部労政課長であつたこと並びに亡博幸が昭和五八年二月七日に自殺したことを認め、被告らとの示談交渉において誠意ある応対を受けられず、聴力検査等を繰り返し強いられることとなつたことは否認し、その余は知らない。

交通事故と自殺との間に相当因果関係があると認められるためには、この両者の関係が経験則上一般的に言つて通常発生するものと認められることを要するが、本件においてはこのような関係は存在しない。

すなわち、亡博幸は、出世について異常に執着する性格である一方、自己の主張を曲げない強い個性をもつていたので上司との折り合いにも問題があり、また、労政課長時代に製作したPR映画も不評であつたこと等から次長昇進を見送られたのであり、また亡博幸の当初の本件訴訟代理人弁護士高橋信良の突然の自殺も心理的に強い影響を及ぼしたものと思われる。このように、亡博幸の自殺は、同人の性格と生活環境に起因するもので、本件事故との間には条件的にも因果関係はなく、また、仮に条件的因果関係があつたとしても、亡博幸の前記性格及び自殺という過剰な反応は通常人にとつて予見することのできないものであり、相当因果関係を欠くものというべきである。したがつて、被告らに亡博幸の死亡による全損害についてまで賠償する責任はない。

4  同4の事実のうち、亡博幸が、秋葉病院に一三日間入院し、その他に埼玉中央病院及び小野医院において、治療及び検査を受けたことを認め、その余は知らない。

5  同5の事実のうち、相続関係は認める。

6  同6の事実のうち親族関係を認め、その余は争う。

三  抗弁

被告日栄交通は、亡博幸に対し、本件損害賠償の一部として、示談金の一部金名下に、次のとおり金員を支払つた。

1  昭和五五年一〇月三〇日金三〇万円

2  昭和五五年一〇月三〇日金七万円

3  昭和五五年一一月二六日金二〇万円

4  昭和五五年一二月三一日金二〇万円

四  抗弁に対する認否

全部認める。

第三  証拠<省略>

理由

一事故の発生

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二被告らの責任

請求原因2(一)及び(二)の事実も当事者間に争いがない。

三本件事故と亡博幸の死亡との因果関係

そこで、請求原因3について判断する。

1  右の争いのない各事実、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  亡博幸は、昭和九年一二月一六日に父石井明日太郎、母アキノの長男として出生し、高校時代にサッカーの選手として活躍し、中央大学(二部)を卒業した。

亡博幸は、川口市役所に主事として就職し、昭和四二年に秘書係長となり、昭和四三年から一時的に浦和市役所に勤務したものの、再び川口市役所に戻り、昭和五〇年に総務課長となり、昭和五二年から新設された労政課長に就任した(本件事故当時亡博幸が右労政課長の地位にあつたことは当事者間に争いがない。)。

(二)  亡博幸は、川口市役所において、いわゆる仕事のできる人物として将来を嘱望され、同期の者と比べ出世の度合も早く、順調に昇進を重ねていつた。

亡博幸は、生来真面目で仕事熱心な性格であり、他方出世に強い関心を寄せる面があつたものの、正義感の強いスポーツマンタイプの人間として、また、神経が細やかで周囲に気を使うなど、部下の信頼も厚かつた。

また、家庭内においても、良き夫や父として一家の生活を支え、円満な家庭生活を営んでいた。

(三)  ところが、亡博幸は、昭和五四年一二月一四日突然、本件事故に遭遇した。

事故直後、亡博幸は意識を失い、気が付くと周囲に誰もおらず、事故現場が自宅から徒歩数分のところでもあつて、そこから歩いて自宅に帰つたが、亡博幸の背広は泥だらけであり、血が耳から流れ出る状態であつた。

翌一五日、亡博幸は浦和市根岸所在の秋葉病院に赴き、同病院の診察を受けた結果、「頭蓋底骨折、右耳出血、右後頭部、硬膜外血腫、右顔面神経麻痺」との診断を受け、同月一七日同病院に入院するに至つた(亡博幸の右入院の事実は当事者間に争いがない。)。

(四)  入院当初、亡博幸につき頭痛、頭重感、右耳閉感、右顔面麻痺の各症状が存在したが、入院治療の結果頭痛が消えるなど症状が多少軽減したこと及び、亡博幸において、「正月は家で迎えたい。死ぬなら家で死にたい。」などと強く退院を希望したため、昭和五四年一二月二九日亡博幸は同病院を退院した(亡博幸の右退院の事実は当事者間に争いがない。)。

しかし、亡博幸の家族は右退院に反対しており、亡博幸の病状は必ずしも退院に適した状態ではなかつたものである。

(五)  亡博幸は、右退院後、難聴、耳閉感、耳鳴りの治療のため、昭和五五年一月一一日及び同月一六日の両日、社会保険埼玉中央病院の診察を受け、「右耳の外傷性鼓膜穿孔、右混合性難聴」の診断を受けた(亡博幸が右病院で診察を受けたことは当事者に争いがない。)。

(六)  亡博幸は、秋葉病院退院後、勤務については病気休暇をとつたうえ、昭和五四年一二月三〇日から昭和五五年四月五日までの間、実日数二六日間、同病院に通院して治療を受け、自宅療養を続けた。

右治療の結果、同人の前記症状のうち、頭痛と顔面神経麻痺は改善されたものの、他の症状の回復は必ずしも良好ではなく、特に、頭重感が残り、右耳難聴の程度は高度であつて、始終せみが鳴いている状況であるなど、治療によるも従前のような軽快な気分に戻ることができなかつた。

(七)  昭和五五年三月時点において、亡博幸の職場復帰は時期尚早で無理な状態であつたところ、同年三月ころ、川口市役所の人事部長が亡博幸方を訪ねて、「六月一杯、治療に専念し、完治してから出勤するように。」と悟すとともに、亡博幸に対し区画整理協会の参事への降格人事異動を告げたため、亡博幸は、休暇を続けることに不安を感じ、右のように降格されることを嫌い、同年三月二六日に無理を押して出勤するようになつた。

(八)  しかし、亡博幸は勤務に就いたものの、頭部についての後遺症、特に頭重感は全く解消されず、勤務後毎晩、氷枕で頭重をいやし続けるとともに、天候によつては、激しい頭痛に襲われ、肩部や首筋に鉛を入れたような硬直状態が続き、また、仕事中に突然身体が揺れ動いたり、目の前が真つ暗になるなど、仕事に打ち込むことのできない日々が続いた。

加えて、右耳について高度の難聴のため、職場での会話に不自由を来たし、特に、電話での応対や市議会における質問に対し具体的な応答が即座にできないなどの不安を抱いて執務した。

(九)  亡博幸は、右のように仕事に専念することができなくなつたばかりでなく、治療や休養のため、しばしば休暇をとることを余儀なくされた。

そのため、亡博幸は、復帰直後の勤勉手当における勤務査定で低い評価を受けるとともに、昭和五五年一〇月の定期昇給についても長期欠勤のため昇給三か月延伸の措置がとられた。加えて、川口市役所においては、課長職を六年以上無事に経過した者は次長に昇格するという事実上の基準があつて、現に同期の者で次長に昇格した者があるにもかかわらず、昭和五六年四月の人事異動では、亡博幸は昇格せずに労政課長に留任した。

かえつて、昭和五七年四月の人事異動では、亡博幸は、労政課長に比較して閑職ともいえる公害対策課長への異動を命ぜられ、次長に昇進する見込みはなくなつた。亡博幸は、同年の異動では次長になることを強く期待していたものであり、右期待を裏切られ、周囲の者に対して自分の不運を嘆いた。

(一〇)  亡博幸は、昭和五七年四月の人事異動を契機に、心の支えを失つたかのように、些細なことでも怒つたり、家族に対して暴力を振うようになり、しばしば飲酒もするようになつた。

他方、身体上の後遺症についても、同年梅雨のころから、頭痛を訴える日が多くなり、頭に「釜」をかぶつているようだと家族に訴えたり、右耳につき難聴のほか耳鳴りを訴えるなど悪化し、ますます悲観的となつていつた。

右のような状況の中で、亡博幸は、ノイローゼ気味となつて、睡眠障害や下痢を起こすなど、精神神経障害からくると思われる症状が顕著となる反面、論理的でない言動が見られるようになつた。

(一一)  亡博幸は、責任感の強い性格から自ら退職することを決意し、昭和五七年六月及び一二月の二度にわたり退職願を提出したが、いずれも上司から慰留された。

また、亡博幸は、本件事故に関して被告らとの示談交渉にも相当神経を使つたものの、交渉が一向に進展せず、保険会社の提示した金額が少額であることに対し憤慨していたものである。そして、本件訴訟提起のために委任した高橋信良弁護士が、訴訟係属中の昭和五七年九月に自殺するという事態に遭遇し、亡博幸は、一層不安な精神状況に陥つた。

(一二)  そして、ついに亡博幸は、昭和五八年一月二二日自殺未遂事件を起こすに至つた。このときは、亡博幸は、カーテンレールにテレビアンテナのコードを掛けて首を吊ろうとしたが、カーテンレールが曲がつて未遂に終わつた。

そして、亡博幸は、再び同年二月七日自殺を図り、自宅洋間のドアにガウンのひもを掛けて、膝をつき座るようにして首を吊つて死亡した(亡博幸の自殺の事実は当事者間に争いがない。)。

(一三)  なお、亡博幸は、前記秋葉病院や社会保険埼玉中央病院のほか、国立ガンセンターや自宅近くの田代巌医師の診察治療を受けている。

国立ガンセンターでは、昭和五五年一月一八日から検査や治療を受け、同病院での治療は亡博幸が死亡するまで続いた。田代医師には昭和五六年七月六日から昭和五八年二月一日まで、実日数一七日間治療を受けた。

右田代医師によれば、亡博幸を治療観察した結果、亡博幸について、同人が不眠症、頭重感、肩凝り、胃腸症等との訴えで来院し、現実に器質的障害(右顔面神経麻痺、難聴等)が存在していたので、その裏にひそむ精神的症状を浮きぼりにすることは困難としつつも、情緒不安定、心気傾向、不眠、頭痛、疲労感等の症状は、脳に器質的障害があるときに見られる神経衰弱状態にあつたと見られること、亡博幸が執着気質の性格傾向にあつたことに加え、交通事故後の身体的苦痛、訴訟に対する心労、訴訟代理人の自殺、職場での昇格停止などの諸条件が重なつて、次第に激越性うつ病類似の状態に陥つたと見られる旨の意見を述べている。

以上の諸事実を認めることができ、<証拠略>、他に右認定を覆すに足りる証拠は存在しない。

2 以上の認定事実を総合勘案すると、亡博幸は、本件事故により頭蓋底骨折、右後頭部、硬膜外血腫、右顔面神経麻痺あるいは右耳出血(右外傷性鼓膜穿孔)など、身体の重要部分である頭部あるいはこれに関係する神経系統を損傷する傷害を受けたものであること、亡博幸は、右傷害により一三日間の入院と約三か月間の自宅療養を行ない、秋葉病院、社会保険埼玉中央病院、国立ガンセンターなどの検査や治療を受けたものの、頭重感や、時には頭痛に襲われたり、突然身体が揺れ動いたり、耳鳴りや高度の右耳難聴についての後遺症が一向に改善されず、日夜苦悶の生活を続けていたこと、右のような身体的状況と本件事故による長期欠勤のため、自ら最も執着していた昇進の道も閉ざされ、示談交渉について被告らから誠意ある応対が得られなかつたことなどの諸状況の中で、亡博幸は将来に対する不安を増悪して神経衰弱状態に陥り、うつ病類似の病状の中で自殺に及んだことが推認され、したがつて、亡博幸の自殺の主な原因は本件事故に基づく傷害と一向に改善されない後遺症にあつたものと認めるのが相当である。

一般に、自殺による死亡が、交通事故により通常生ずべき結果に当たらないことはいうまでもない。しかし、自殺による死亡について、事故に基づく傷害ないし傷害の部位あるいは程度いかんによつては、予見不可能な事態とはいえず、右事情を予見し或いは予見することを得べかりしときは、特別の事情によつて生じた損害として、加害者は死亡によつて生じた損害をも賠償する責を負うものと解される。

本件において、前記認定のとおり、亡博幸は生来真面目で仕事熱心な地方公務員であつて、亡博幸が事故によつて被つた傷害の部位は、頭部及び付近の神経系統であつて重大であり、しかも公務員にとつて執務上重大な右耳難聴を含む後遺症が一向に改善されない状況の中で、昇進の道も閉ざされるなどの条件も加わり、将来に対する希望や意欲を失い、うつ病類似の精神状態に陥り自殺に及んだことは、無理からぬものがあると認められ、亡博幸が右傷害及び後遺症に基づき自殺に及ぶことは予見可能な事態というべきである。よつて、本件において、本件事故と亡博幸の死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。

3  もつとも、自殺の場合、通常本人の自由意思により命を断つという一面があることは否定できないところであり、本件においても、亡博幸が全く自由意思を失つた状態で自殺したものとは認められないことは前記認定のとおりであるから、このような場合に、自殺による損害のすべてを加害者側に負担させることは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念からみて相当でないものというべきである。

そこで、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用し、自殺に対する亡博幸の自由意思の関与の程度を斟酌して加害者側の賠償すべき損害額を減額するのが相当であると解されるところ、前記認定の諸事情を総合勘案すれば、亡博幸の死亡による損害についてはその六割を減額するのが相当である。

四進んで、本件における損害について判断する。

1  亡博幸の被つた損害

(一)雑費 金二七万四八四〇円

<証拠>によれば、亡博幸は、本件事故発生による物的損害として眼鏡代金五万三五〇〇円、背広代金五万円を出費し、また、入通院における交通費として金一六万〇九四〇円、入院雑費として金一万〇四〇〇円を出捐したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  休業損害 金一七万五〇二〇円

<証拠>によれば、亡博幸は本件事故により昭和五四年一二月一五日から川口市役所を長期間欠勤し、そのためその間の管理職、勤勉手当等を合計金一七万五〇二〇円を減額され、右同額の損害を被つたものと認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(三)  昇給延伸による逸失利益 金九万七二〇〇円

前記三1で認定の事実、<証拠>によれば、亡博幸は、本件事故による長期欠勤のため、昭和五五年一〇月の定期昇給について昇給三か月延伸の措置がとられ、その差額一か月金三万二四〇〇円の三か月分合計金九万七二〇〇円の支給が受けられず、右同額の損害を被つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(四)  傷害慰謝料 金三〇〇万円

前記三1で認定した事実のとおり、亡博幸は、昭和五四年一二月一七日から同月二九日までの一三日間秋葉病院に入院し、その後昭和五五年四月五日まで同病院に通院したほか、社会保険埼玉中央病院、国立ガンセンターなどにおいて通院治療を受け、本件事故に基づく後遺症である難聴、頭重感などにより職務の遂行にも支障を被り、遂にはうつ病類似の精神障害を来たすに至つたことが認められ、右傷害による入通院期間、後遺症等を総合勘案すると、本件における傷害慰謝料は金三〇〇万円をもつて相当と認める。

(五)  死亡による逸失利益 金一七七六万一五二四円

<証拠>によれば、亡博幸は、死亡当時満四八歳で、本件事故により死亡しなければ、六七歳までの一九年間稼働可能であり、死亡前三か月の平均月額給与額は金四七万一〇六三円であることが認められるから、これを基礎として生活費として三割五分を控除し、さらにライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、亡博幸の死亡時における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は金四四四〇万三八一一円(円未満切捨)となる。

471,063円×12×0.65×12.085≒44,403,811円

そして、亡博幸の死亡による損害について、過失相殺の法理の類推適用により、六割の減額をするのが相当であることは前示のとおりであるから、右認定の逸失利益から六割を減額すると、残額は金一七七六万一五二四円(円未満切捨)となる。

(六)  死亡慰謝料 金四〇〇万円

本件において、亡博幸は妻及び子供三名の家族の支柱であること、その他亡博幸の年齢、本件自殺に至る経緯、被告らの本件事故に対する対応等諸般の事情を考慮すると、亡博幸の死亡による慰謝料は金一〇〇〇万円が相当であると認められるところ、前記(五)と同様、死亡による損害については六割を減額するのが相当であるから、右慰謝料は金四〇〇万円となる。

2  弁済の抗弁について

被告日栄交通が亡博幸に対し、本件損害賠償金の一部として、合計金七七万円を支払つたことは当事者間で争いがない。

よつて、亡博幸が被つた損害額合計金二五五八万三四二四円から右金七七万円を控除すると、右金額は金二四八一万三四二四円となる。

3  相続

原告ちよ子が亡博幸の妻であり、その余の原告らはいずれも亡博幸の子であつて、亡博幸の死亡により、原告らがその損害賠償請求権を法定相続分に従い、原告ちよ子が二分の一、その余の原告らが各六分の一の割合で相続したことは当事者間に争いがない。

したがつて、原告ちよ子は金一二四〇万六七一二円、その余の原告らはそれぞれ金四一三万五五七〇円(円未満切捨)の各損害賠償請求権を相続によつて取得したこととなる。

4  原告ら固有の損害 金二五〇万円宛

原告ちよ子は妻として、その余の原告らはいずれも子として、突然の本件事故により円満な家庭生活を破壊され、亡博幸の入通院や療養生活を支え、遂に自殺という形で最愛の夫あるいは父を失つた衝撃は大きいものと推測され、前記亡博幸の死亡による慰謝額その他諸般の事情を斟酌すると、本件における原告ら固有の慰謝料は、原告ら各自につき金二五〇万円宛をもつて相当と認める。

五結論

以上によれば、被告ら各自は、自賠法三条及び民法七一五条に基づき、亡博幸の被つた損害の原告らの相続分及び原告ら固有の損害の合計額、すなわち、原告ちよ子に対し金一四九〇万六七一二円、その余の原告らに対し各金六六三万五五七〇円及び右各金員に対する不法行為の日である昭和五四年一二月一四日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告らの本訴請求をいずれも認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官菅野孝久 裁判官永田誠一、同山内昭善は、いずれも転任のため、署名押印することができない。裁判長裁判官菅野孝久)

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